小さな親切運動
栃木県コミュニティ協会では、「小さな親切運動」を応援しています。
【共催事業】
「小さな親切」作文・標語コンクール
※「小さな親切運動」の詳しい内容は、公益社団法人「小さな親切」運動本部のHPをご覧ください。
【小さな親切運動8カ条】
1. 朝夕のあいさつをかならずしましょう。
2. はっきりした声で返事をしましょう。
3. 他人からの親切を心からうけ入れ、「ありがとう」といいましょう。
4. 人から「ありがとう」といわれたら、「どういたしまして」といいましょう。
5. 紙くずなどをやたらにすてないようにしましょう。
6. 電車やバスの中でお年寄りや、赤ちゃんをだいたおかあさんには席をゆずり ましょう。
7. 人が困っているのを見たら、手つだってあげましょう。
8. 他人のめいわくになることはやめましょう
●●●●●●●●●●●●●●●●● 第46回「小さな親切」作文・標語コンクール 優秀賞(栃木県コミュニティ協会長賞)の作品を紹介します。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●
■ ■ 作文 小学生の部 ■ ■
「私の親切」
5年 角尾 美月
親切ってどんな事でしょう。友達をおもいやること。困っている人を助けてあげること。人それぞれだと思います。
私はある体験をしました。スペインから転校してきたときのことです。海外からきたからでしょうか。みんな興味津々で、何でもやってくれようとしました。ランドセルまで持ってくれて、私は「何もできないと思われているのかな。」とちょっと悲しくなりました。それは、みんななりのやさしさだったんだろうと思いましたが、当時の私は転校の時の緊張でそんなことを考える余裕がなかったのです。その後、転校生という意識もうすれていって、私を手伝う人も減っていきました。しかし、優しい心づかいがなくなったというわけではなく、今でも困っていたら助けてくれます。この経験から、私は親切はただやればいいわけではないと思いました。
ここに「五体不満足」という本があります。この本の主人公は筆者でもある乙武洋匡さんです。乙武さんは生まれつき手や足がありませんでしたが、健常者が通う学校に行きました。友達は彼のために変わりに何でもしてあげようとしました。しかし、先生はそれを止めて、自分でできることは自分でさせようとしました。また、先生はいつも乗っていた電動車いすの使用も禁止にしました。一見厳しい先生の態度には二つの理由がありました。一つ目は車いすに乗っていることでの優越感です。「障害者=特別視」という図式をくずすために、ふつうに扱っていたのに、車いすに乗っていることでの優越感によってすべてむだになっていたのです。二つ目は体力を考慮しての面です。小学生は成長期です。将来を見すえ、筋力をきたえていかなければいけないのです。先生のこの決断は正解でした。車いすからはなれられない障害者になってしまうと、生活の幅が違っていたと思います。先生は「真のきびしさは真のやさしさである。」と言っています。つまり、やさしくすることだけが親切ではないということです。
私の体験とこの本を通して、私は自己満足のための親切はかえって相手を傷つけることもあると知りました。それは親切のおし売りであり、自分のためにやっていることと同じです。私は必要なときに必要な分だけ親切をしたいです。むずかしいことですが、相手の立場に立って想像すれば、相手のしてほしいことが分かると思います。小さなことでもいい、想像力を高め、心から人のことを思い行動することが私の考える親切です。
■ ■ 作文 中学生の部 ■ ■
「見方を変えれば」
1年 飯田 優人
その日のスーパーマーケットは、お盆に使うお供え物や食料品などを買い物する大勢のお客さんで、レジは大行列ができていました。僕もそこに並んでいました。僕の前に並んでいた、白髪で少し腰の曲がったおばあさんが「お先にどうぞ。」と声をかけてくれました。僕は、突然のことに緊張してしまい、思わず目を丸く見開いてしまいました。ふと前を見ると、おばあさんは、カゴ一杯に買い物をしていました。品数の多かったおばあさんは、品物を一つだけ持って並んでいた僕に気づき、自分より先にしてくれようと声をかけてきてくれたのだと気づきました。僕は迷わず「ありがとうございます。」と、軽く頭を下げて、順番を変わってもらいました。
ところが、店を出てから僕は、なぜか後を引く思いがして、足を止めました。今日、自分は、母に頼まれた果物を一品買いに来ただけで、急いでいたわけでもなく、レジに並んで順番を待つ余裕もあったのに、「お先にどうぞ。」という言葉に「優先してもらえる。」という思いがよぎり、自分の遠慮のなさと、ずるさを感じたのです。「お先にどうぞ。」と、親切に気遣いしていただいても、「並んで待つのは大変ですから、どうぞ、お先に。」と、逆に相手を気遣い、親切にするべきだったと思い返しました。自分が優先されるということっは、相手を後回しにすることだということに、その場で気づくべきでした。そんな、後引く思いをしていたとき、店内からショッピングカートを押したおばあさんが出てきました。車に荷物を積み込んだ後、カートを押して戻そうとしているのを見て、無我夢中で駆け寄り、「このカート、僕が戻しておきます。」と言っていました。おばあさんは突然のことに驚いた様子でしたが、「すまないねぇ。親切にありがとう。」と後から聞こえました。その言葉に、僕は嬉しくなりました。そして、足早にカートを戻し、その場を後にしました。
親切にしてもらい、「ありがとう。」の言葉もなく、そのまま何事もなかったように終わってしまうことも多くあります。しかし、親切のお返しもできることを、この経験から気づきました。この、小さな親切のお返しが自然にできるように、心がけていきたいと思います。そして、例えば、食事を作ってもらえたり、勉強を教えてもらえたえり、道を譲ってもらえたりしたときに、それを当たり前と思わず、「ありがたい」と見方を変えて考えられるようになりたいと思います。ちょっとした気遣いに気づき、たくさんの親切のお返しができるようにしていきたいと思います。
■ ■ 標語 小学生の部 ■ ■
4年 松井 颯音
「思いやり
こころにとどく
温かさ」
■ ■ 標語 中学生の部 ■ ■
3年 福田 実由
「積み上げよう 小さな親切
つなげよう みんなの笑顔」
●●●●●●●●●●●●●●●●● 第45回「小さな親切」作文・標語コンクール 優秀賞(栃木県コミュニティ協会長賞)の作品を紹介します。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●
■ ■ 作文 小学生の部 ■ ■
「あいさつで伝える気持ち」
6年 増山 望美
私は今、毎日できるだけ、たくさんの人とあいさつをしよう、と心がけています。でも、以前の私は、そうではありませんでした。 小学校に入学してからの私は、一年生のときからずっと、そして五年生になってからも、なんとなくあいさつをしていました。校長先生は、始業式などの話の中で、
「感謝の気持ちをこめて、あいさつをしましょう。」
とおっしゃっていたのですが、それを意識することはほとんどありませんでした。自分にとってあいさつとは、人の心を大きく動かしたり、えいきょうを与えたりするようなものではない、と思っていました。
毎朝、登校中に会う交通指導員さんや、l地域の方へのあいさつを忘れてしまうこともありました。されたらする、されなかったらしない、という感じでした。私にとってあいさつは、その時の気分で言っているだけのもので、大切なものだと考えていたわけではありませんでした。ただ、なぜかは分かりませんが、あいさつをしそびれてしまったときにどこかモヤモヤすることもありました。
私は登校するときに、いつも西門前の横断歩道をわたります。そこには毎日、交通指導員さんが立っていました。ある日の朝、すっきり起きられずに頭がボーッとしていて、あいさつをする気になれなかった私は、交通指導員さんの前を無言で横断しました。心の中では、明日はあいさつをしよう、とだけ考えていました。
でも、その日を境に、交通指導員さんは、西門前に立たなくなりました。そして、校長先生や教頭先生が立つようになりました。その後、
「西門前に立って下さっていた交通指導員さんが、お亡くなりになりました。」
という話がありました。
とんでもなく、胸がしめつけられるような感じになりました。私の心は、行き場もなく、ふわふわとただようえような感じになり、同時に強い後かいの思いがこみ上げてきました。どうしてあのとき、「今日はいいや。」と思ってしまったのだろう。。どうして、「眠くてあいさつをする気になんてなれない。」などという理由で、あいさつをしない自分を納得させたのだろう。私はやっと、どうしてあいさつをしなくてはならないのかが、分かった気がしました。
あいさつとは何か?それは、人それぞれ違うと思います。私にとってのあいさつは、「ありがとう」「がんばろう」などの気持ちを伝え合うものだと思います。大切なのは、私自身の気持ちをこめること。まだまだ自身はありませんが、「自分から」「笑顔で」沢山の人と気持ちを伝え合うために、顔晴(がんば)っていきます。後かいしないために・・・。
■ ■ 作文 中学生の部 ■ ■
「地域の行事を通して学んだこと」
1年 瀧澤 芽吹
私は、地域のお祭りに参加することが大好きです。なぜなら、にぎやかなその場所にいるだけで、とても明るい気持ちになるからです。おいしそうなにおい、皆の笑い声に包まれて、毎年楽しい時間を過ごしています。しかし、同じ地域の行事でもあまり参加したことのないものもあります。それは、清掃活動です。
家の近くの公園は、近所の人が沢山参加して掃除しています。私が初めて参加したのは、小学校低学年の時です。私が行ったときには、もうたくさんの人が清掃を始めていました。私も草を取ったり土をならしたりしていたのですが、集中力のなかった私は、すぐに友達を見つけて遊び始めてしまいました。高学年になって清掃活動に参加した時には、友達は来ていませんでした。周りを見て友達が来ていないと分かった私は、少しがっかりしたのを覚えています。
仕方なく掃除をしていると、大人の人たちの会話が聞こえてきました。
「お祭り、楽しみだね。」
「うん。準備と片付けは大変だけれど、皆のためにも頑張ろうね。」
そんな会話が、色々なところから聞こえてきました。話している方達はとても中が良くて楽しそうに見えました。なぜあんなに楽しそうなのかな、もしかしたら、ただ掃除をするだけではないのかな、そんな疑問をもちながら活動していた私は、清掃活動もお祭りの準備も、気持ちをつなぐという意味で大切な活動になっていると
気がつきました。皆が同じ目標に向かって楽しみながら活動しています。だからこそ、近所の人や友達との絆が強くなったのでしょう。そのことに気がついた私は、いつの間にか清掃活動に夢中になっていました。
友達が来ていないからがっかりするのではなくて、そこにいる人たちと協力して頑張ること。それが、一つ一つの活動を楽しくするひけつだということを教えてもらった体験でした。
私の住むところには、小さい子が気持ちよく遊べるように公園をきれいにしたり、地域の方達が皆笑顔で集まれるようにお祭りの準備をしたりする人達がいます。その人達に対して、私は感謝の気持ちで一杯です。そして、私もあの人達のように、周りの人に喜んでもらえる活動に喜んで参加できる大人になりたいと思ってします。誰かの笑顔のために頑張る時間を楽しむ人間になりたいです。その活動を通して出会うたくさんの人との絆を大切にして生きていきたいです。
中学生になった今、私の世界はちょっとだけ広くなりました。広くなってたくさんの人との出会いがありました。まずはここで、誰かのために私にできることを見つけて活動していきたいと思います。
私は、地域のお祭りに参加することが大好きです。そして、皆で力を合わせて目標に向けて頑張る時間も大好きです。
■ ■ 標語 小学生の部 ■ ■
1年 五百部 恵凪
「手をつなごう
ひとりじゃないよ
みんながいるよ」
■ ■ 標語 中学生の部 ■ ■
2年 岩崎 稜
「数秒の
小さな親切
一日笑顔」
●●●●●●●●●●●●●●●●● 第44回「小さな親切」作文・標語コンクール 優秀賞(栃木県コミュニティ協会長賞)の作品を紹介します。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●
■ ■ 作文 小学生の部 ■ ■
「ありがとう」
1年 神山 三怜
「ありがとう。」
きょうしつでともだちのすいとうのふたをあけてあげたら、いわれました。とてもうれしいきもちになりました。また、べんきょうをしているときに、おともだちがどこのページかわからなくてこまっていたので、おしえてあげました。そのときも、
「ありがとう。」
と、ともだちがいってくれました。
そのときはなんだかこころがふわふわになりました。むねのあたりが、じゅわっとあたたかくなってとてもうれしいきもちになりました。ちいさくて、かんたんなことをしただけなのに、
「ありがとう。」
ということばをいってもらえて、うれしいきもちになりました。うれしいときは、えがおになりました。だからわたしも、だれかに、
「ありがとう。」
をいってみたくなりました。
だからわたしは、ありがとうさがしをしてみました。
おともだちがてつだってくれたときや、じょうきゅうせいのおにいさんやおねえさんがやさしくあそびにさそってくれたとき、うれしくなって「ありがとう。」といってみました。
ありがとうさがしをしてみたら、たくさんのありがとうをみつけることができました。わたしが、「ありがとう。」といったときも、ともだちやおかあさん、せんせいに「ありがとう。」といわれたときも、とてもうれしいきもちになりました。えがおになりました。このきもちは、わたしだけではなく、みんながそういうきもちになるとおもいます。
みんなが「ありがとう。」といったりいわれたりすることで、たくさんのひとがうれしいきもちになるとおもいます。そしたら、みんながえがおになって、なかよしになるとおもいます。
いちねんせいになって、あたらしいともだちがたくさんできました。
みんなでえがおになって、もっともっとなかよしになれるように、しんせつにしてもらったら、こころをこめて、
「ありがとう。」
をいいたいです。わたしのまわりを、いっぱいいっぱいしんせつにしたいです。
そのため、ありがとうさがしをこれからもつづけていきたいです。
「ありがとう。」
いっても、いわれてもうれしくなることばです。わたしのだいすきなことばはまほうみたいなちからがあります。
■ ■ 作文 中学生の部 ■ ■
「心つなぐ」
3年 井腰 そよ花
私は洋服が大好きです。でも、どんなにお気に入りの服でも、小さくなって着られなくなってしまします。しかし、私の家では小さくなった服を捨てたりはしません。先日、家に帰ると、母が去年私が着ていた服をたたんでいました。母は、いつも服が色落ちしたり縮んだりしないように、ていねいに洗濯をします。そして、着ることができそうな子供のいるお友達にあげるのです。そうすれば、捨てずにすむし、そのお友達にもとても喜んでもらえるそうです。喜んでもらえると母もうれしいと言っていました。以前、近所に住んでいる女の子が、私が気に入っていてよく着ていた服を着て、うれしそうに遊んでいるのを見かけたことがあります。その姿を見て、私は、うれしいような誇らしいような少しくすぐったいような、そんな気持ちになりました。もらった人もうれしいし、喜んでもらえると母も私もうれしいです。それに、洋服も捨てられてしまうより着てもらえたほうがうれしいと思います。
さらに、うれしいことがあります。それはもらった人がお礼にと、ちょっとしたお返しを持って来てくれることです。それもわざわざそのために買ってきてくれたものではありません。いちごをたくさんもらったからとか、おいしいパン屋さんにたまたま寄ったからとか、本当に「気持ち」が感じられるものです。「気持ち」がこもったものは、心がぽかぽかと温かくなって、とても美味しいものです。それに、「気持ち」をいただけるということは、とてもうれしいことです。それは、いつも私たちのことを気にかけてくれているということだからです。私の母もいつも相手のことを気にかけています。私は、こういったお互いが気づかいでつながっていく感じがとてもすてきだと思います。
最近では、近所づきあいや親せきづきあいなどの人とのつながりが希薄になっていると言われています。しかし、私のまわりには「おすそわけ」「ほんの気持ち」といった、人と人とをつなぐ気づかいがまだ残っています。こういう気持ちやつながりはとても大事だと思います。昔から日本に受けつがれてきたこういう言葉を、私はとてもすてきだと思います。私は母や祖母、昔の人がしてきたようにこうした人と人とのつながりを大切に生きていきたいと思います。
■ ■ 標語 小学生の部 ■ ■
6年 太田 瑞葵
「どうしたの
その一言で
咲くえがお」
■ ■ 標語 中学生の部 ■ ■
2年 越沼 美晴
「差し伸べた
小さな勇気に
ありがとう」
■ ■ 標語 一般の部 ■ ■
栃木市 大門 美香
「うつむいた
私に声をかけてくれる
笑顔をくれて ありがとう」
●●●●●●●●●●●●●●●●● 第43回「小さな親切」作文・標語コンクール 優秀賞(栃木県コミュニティ協会長賞)の作品を紹介します。 ●●●●●●●●●●●●●●●●●
■ ■ 作文 小学生の部 ■ ■
「おはやしは和の音色」
6年 山根 史也
今年も、ぼくの住んでいる町のおはやしの練習が始まりました。毎年、7月に行われる夏祭りに向けて、2か月前から練習します。おはやしには、2年生から6年生までが参加しています。小さい学年は鼓をやり、5年生男子が中太鼓、6年生男子が大太鼓、高学年女子が横笛です。ぼくは6年生で、大太鼓を担当します。毎年、おはやしに参加してきましたが、大太鼓をやるのは初めてです。大太鼓は、おはやしのリズム全体をリードする重要な役目があるので、ぼくにもできるかなと不安がありました。おはやしの練習には、おはやし保存会の大人の人が来てくれ、教えてくれます。また、子ども会のお母さんたちもぼくたちの練習を温かく見守ってくれます。夏祭りまでに、おはやしが上手になるかなとドキドキしながら練習しています。
みんなで練習する最初の日のことです。ぼくは、大太鼓のリズムがしっかり打てるかとても心配でした。その時、中学校1年生がたくさんおはやしの練習に来てくれました。中学生は部活動でいそがしく、つかれているにもかかわらず、ぼくたち小学生に教えるために神社に集まってくれました。中学生は、大太鼓、中太鼓、横笛など、それぞれ楽器のパートに分かれて教えてくれました。ぼくは、大太鼓の打つタイミングや打つ時のコツなどをくわしく教えてもらいました。最初は、リズムに合わせるのが難しかったけれど、少しずつ上手にできるようになりました。そして中学生は毎週、数人が交代で教えに来てく
れています。休けい時間には、中学校の話や部活動の話もしてくれます。ぼくは、おはやしを通じて、中学生の優しさと親切な心を感じました。優しく教えてもらうと、ぼくは、とてもうれしくなりました。ぼくも、小さい子達に優しく教えられたらいいなと思いました。優しい気持ちは、みんなを優しい気持ちにしてくれているのだと思いました。
みんなで力を合わせて演奏するおはやしは、優しさのあふれた「和の音色」だと、ぼくは、思います。小学生も中学生も大人も、みんなで一つになっておはやしを演奏しているからです。毎年、おはやしを教えてくれる保存会の人々は、町中に優しさの音色を広めてくれる人だと思います。ぼくは、昔から伝わるこの町のおはやしを、これからも町の伝統としてつなげていけたらいいなと思います。ぼくは、夏祭りに6年生としてがんばりたいです。そして、中学生や大人になっても、この町の優しい音色をみんなで守っていけたらいいなと思います。
■ ■ 作文 中学生の部 ■ ■
「思いやりの心の連鎖」
2年 井腰 そよ花
私の祖父は体が不自由です。6年前に脳出血をおこしてから、左半身が動かなくなってしまい、一人では歩くことさえままならなくなりました。病気になる前は、仕事が好きで、趣味も充実していて、みんなにたよりにされる太陽のような人でした。そんな祖父がある日突然、一人では何もできなくなってしまったのです。
はじめの頃は、心配してたくさんの人がお見舞いに来てくれました。親せきの人、お友達や知り合いの人たちも、何かにつけて顔を見に来くれました。でも、しばらくすると、訪ねて来てくれる人は、ほとんどいなくなりました。私は、あんな行動力があって、いつも出かけていた祖父が全然外に出られないなんて、どんなにさびしいだろうと思っていました。
でも、いつからか、祖父の古い友達である「きんちゃん」が毎週日曜日に、祖父を訪ねてくれるようになりました。きんちゃんは、祖父の小学校の同級生で、近所に住んでいます。きんちゃんは、毎週日曜日の午後にやって来て、二人でお茶を飲みながら、他愛もない話をしたりテレビを見たりして、夕方には帰って行きます。きんちゃんは、いつもひまだからなんて言って笑っていますが、毎週毎週、何年も続けるということは、実はとてもたいへんなことだと思います。何年か前に一度、私はきんちゃんに、なんで毎週来てくれるのか聞いたことがあります。すると、 「おれが病気になった時に同じことをしてもらったからだよ。」
と、やはり笑いながら答えてくれました。祖父の友達を思う気持ちがつながって、また祖父に返ってきたのです。
祖父は、きんちゃんと過ごす日曜日の午後をとても楽しみにしています。特に何をするわけではありませんが、一緒に過ごす時間が、きっと生活の励みになっているのだと思います。
人を思う温かい心は、周りの人の心まで温かくします。祖父の友達を思う気持ちが、きんちゃんにつながり、そして私たち家族や他の友達にもつながって、みんな温かい気持ちになりました。思いやりの気持ちの連鎖が、たくさんの人を幸せな気持ちにさせてくれているのです。きっとこういう、ほんの小さな思いやりの気持ちと、ほんの少しの行動をおこす勇気が、みんなを幸せにしていくのだと思います。これは、私の家族の中だけの話でなく、世界中のみんなが幸せになるために必要なことなのではないでしょうか。思いやりの心の連鎖が、どんどん広がって、世界中が温かい気落ちになったら沢山の人が幸せになれるでしょう。
■ ■ 標語 小学生の部 ■ ■
2年 宇梶 成
「あいさつで
きらきらえがお
いっぱいに」
■ ■ 標語 中学生の部 ■ ■
2年 諏訪 光貴
「親切の
勇気は一瞬
思いは一生」
■ ■ 標語 一般の部 ■ ■
栃木市 山越 陽子
「小さな親切 もらったら
他の人にもおすそわけ」